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3.30 晩秋の大和路を歩く(2017年)
     (1).伊賀上野--柳生の里 をたどる


1.概要
晩秋の11月中旬、昔の同期の仲間と奈良・大和路を歩いてきました。昨年に続く晩秋の大和路巡りです。奈良はまさに歴史の宝庫であり、路傍にはあちこちに社寺や遺跡、古墳が点在しております。我が国のルーツに思いをはせ、卑弥呼伝説をめぐるロマンの旅が堪能できます。そこで昨年と同様に晩秋の奈良の風情をゆっくり味わいながら社寺・古墳巡りをすると言うことで、出来るだけ徒歩で大和路巡りをしました。

第1日目は奈良盆地北端山麓で行政地理的には三重の伊賀上野から入り、翌日奈良中心部の文化的影響を強く受けた柳生の里と当尾の寺院を訪ねました。それぞれ独特の地域文化を形成している日本の歴史遺産の地です。ちょうど紅葉に包まれ秋景色の魅力を醸し出していました。


2.日時・コース
    ・日時:2017年11月13日、14日
    ・場所:JR関西本線で忍者の里・
伊賀上野を経由し剣豪の里柳生を周遊し奈良へ
       ・JR関西本線伊賀上野駅--伊賀上野周遊--JR笠置駅--柳生の里周遊--柳生街道(剣豪の道・・・円成寺など)--バス--JR奈良駅


     *下へスクロールすると写真がご覧になれます

1.伊賀上野
小さな盆地の伊賀の国は忍者の里とも言われていますが、その中心は上野にある伊賀上野城であり、その周囲の城下町です。町の北部高台にある城は白亜三層の天守閣が優美・端麗で白鳳城とも呼ばれている。町は城と忍者の遺産を町興しに活用している。
1.1 伊賀上野城
天昇3年(1583年)、筒井定次が築城、その後藤堂高虎が1608年豊臣方に備え高石垣を築き城を拡張したが、竣工直前に暴雨で倒壊した。その後再建は長くなされなかった。現在の天守は、昭和10年に地元代議士・川崎克氏により私財で再建されたものである。純木造の天守閣です。
写真1: 白鳳門
写真2: 伊賀上野城秋彩(1)
写真3:伊賀上野城秋彩(2)
写真4: 伊賀上野城秋彩(3)
石垣は高さ30mで日本有数の高さです。築石姿が美しい。
写真5: 伊賀上野城秋彩(4)
写真6: 伊賀上野城秋彩(5)
白鳳城と言われるだけあり、その姿はどこから見ても華麗で端整な姿です。
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1.2 俳聖殿
伊賀上野が松尾芭蕉生誕の地あることから生誕300年を記念して作られた木道建築物です。松尾芭蕉の旅姿をイメージして、川崎克氏着想、建築家・伊藤忠太によって設計されました。
写真7: 俳聖殿前の門
写真8: 俳聖殿
芭蕉の旅姿をイメージした斬新な建物です。
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写真9: 忍者屋敷の忍者像
町のあちこちに忍者の香を漂わせており、街歩きも楽しめます。
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1.3 鍵屋の辻
伊賀上野の西外れの四つ角、ここが昔から芝居などに取り上げられている日本三大仇討ちの一つ「伊賀越え鍵屋の辻の決闘」の場です。荒木又右衛門の活躍がよく言われますが実際は少々違うようです。
写真10: 鍵屋の辻
写真11: 鍵屋の辻の説明板
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2.柳生剣豪の里
2.1 柳生の里へ
写真12: 木津川沿いの山間を走る関西本線
秋彩の中を走る単線のジーゼルカー、何か郷愁を誘う列車の旅です。秋の台風で一部切断されたままでした
写真13: 柳生の玄関口笠置駅前のモニュメント
この笠置の地も歴史遺産に満ちています。元弘の乱時に戦いの舞台となった笠置山がこの近くにあり、その戦の様子を示している。
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2.2 柳生の里
柳生は、江戸時代に将軍家剣術指南役として天下に権勢を振るった柳生藩一万石の地です。吉川英治の「宮本武蔵」やNHKの大河ドラマ「春の坂道」の放映で柳生の里が一躍注目されました。山間の小さな盆地の中に柳生一族にまつわる史跡が残り、新陰流の息吹が今も残っております。
写真14: 一刀石
柳生新陰流の祖、石舟齋の奥義を象徴する遺物です
写真15: 一刀石説明板
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芳徳寺(神護山芳徳禅寺)
柳生家の菩提寺で柳生宗矩が父石舟齋の菩提を弔うため1638年に創建、沢庵和尚が開山しました。寺の裏手に柳生一族代々の墓があります。もとはこの地に柳生家の居城がありました。
写真16: 芳徳寺秋彩(1)
写真17: 芳徳寺秋彩(2)
写真18: 柳生一族の墓
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・旧柳生藩家老屋敷
江戸時代後期に柳生藩家老を努めた小山田主鈴の屋敷です。1964年から作家・山岡荘八の所有となり、柳生を舞台としたNHK大河ドラマ「春の坂道」もここで構想が練られたと言われています。1960年奈良市に寄贈され、現在柳生の資料館として公開されています。
写真19: 旧柳生藩家老屋敷
写真20: 全国から柳生へ集った剣豪達
写真21: 柳生家の紋章
写真22: 柳生の里秋彩
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2.3 柳生街道(剣豪の道)を辿る
柳生街道は春日山と高円山の谷間を通り、奈良中心部と柳生を結ぶ役16kmの古道です。沿道には石仏が多くあり、喜多林、忍辱山など仏教由来の名前が残っており、奈良・平安時代に創建された寺が散在し、この地域が山岳仏教の道場になっていた考えられています。そして時代は変わり江戸時代、柳生神陰流が興され、柳生の剣の奥義を求め全国から武士が行き交ったと言われています。今回この柳生街道を柳生から中間点の忍辱山円成寺まで辿りました。
・夜支布山口神社
平安時代の中頃に編纂された延喜式(古代の法令集)に乗っている歴史ある神社です。現在でも大柳生町の氏神として信仰されている。境内にある摂社は18世紀に春日大社の第四殿を移築したものです。大柳生太鼓踊りが継承され有名です。
写真23: 夜支布山口神社秋彩
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・円成寺
剣豪の道、柳生街道の要所に位置し、平安寺時代中期創建の古刹です。平安期の回遊式庭園、運慶青年期(1176年)の作である大日如来座像、13世紀に春日大社より移築した春日堂などが有名です。秋の紅葉期の庭園は格別見応えがあります。
写真24: 古刹秋彩(1)・・・円成寺
写真25: 古刹秋彩(2)・・・円成寺
秋雨に濡れた紅葉はひときは鮮やかです
写真26: 古刹秋彩(3)・・・円成寺
写真27: 古刹秋彩(4)・・・円成寺
格式ある山門です
写真28: 古刹秋彩(5)・・・円成寺
秋雨でしっとりした彩りが一層まし、平安期の回遊式庭園は見応えがあります
写真29: 古刹秋彩(6)・・・円成寺


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